[150] 有り難うございました 投稿者:ひらり〜 投稿日:2001/04/08(Sun) 22:12

こんにちわ

kakeiさん、情報どうも有り難うございました。
長崎に行ったら、是非行ってみようと思います

実は前回行ったとき、夏だったので、Tシャツ一丁でいってしまいまして、ホテルだから入りにくくてやめてしまいました

こんどこそ、行ってきます

http://www.246.ne.jp/~hirary/


[149] こんちは! 投稿者:ちーも 投稿日:2001/04/08(Sun) 05:09

はじめまして。今、連絡船のサイト作ってます。現在は埼玉にすんでますがじっかは函館です。廃止のときは丁度中学生でした。
新聞配達をして毎週のように桟橋に行き連絡船に乗ってましたよ。

実家に眠る写真を引っ張り出したいけど、なかなか行けないので今ある分でつくってます。完成したらお知らせするので遊びにきてね!!


[148] 追伸 投稿者:Masaru KAKEI 投稿日:2001/04/07(Sat) 21:28

そうそう。言い忘れておりました。
オフ会、私も協力させていただきます。
どうぞよろしゅうに。

追伸、了。


[147] Re:どなたか教えてください 投稿者:Masaru KAKEI 投稿日:2001/04/07(Sat) 21:27

こんばんは。kakei@Tokyoです。
「大雪丸」へは、昨年4月に北山キャプテンを訪ねて行って来ました。

笑ったのは、全日空に乗ると3月の帰阪便と同じスチュワーデスさんが乗っていた事でしょうか?
「あら?またお船ですか?」と笑われてしまいました。

大雪丸には....バー「Soda(操舵)」は有りましたよ。
夕刻から真夜中ぐらいまで営業していたはずです。
レーダー等、若干位置が変わっていますが....

それより何より、ホテルの電源は船外に設置したディーゼル発電機から給電しています。
空調系統は一部改造して使っていたのでは思います。
主機、補機、スラスター等は結構そのままで残っています。
北山キャプテンに案内して貰い、洞窟探検の如く回ってきました。(笑)

一番笑ったのは、船尾扉上のトリミングルームが....
カラオケルームになっていた事でしょうか?
長崎港を見ながら、誰にも邪魔されない!? 何てね。

ホテルに直接聞いてみるのが早いかもしれません。
〒850-0937
長崎市小曽根町5−16            
TEL:095-822-8888 FAX:095-820-4399

以上、取り急ぎ。



[146] どなたか教えてください 投稿者:ひらり〜 投稿日:2001/04/07(Sat) 20:22

こんにちわ、

5月に、長崎に行くこととなりました
長崎と言えば、大雪丸がいて、ホテルになっていますね
そこで、開業当初ブリッジにあった、バー「ソーダ」ですけど、今もありますか?もしご存じのかたいましたら、教えて下さい
ついでにだいたいの営業時間や、価格帯なども

ではでは、お願いします

追伸:オフ会期待しています、ご協力できることあればなんなりと

http://www.246.ne.jp/~hirary/


[145] Re[144]: 函館の夜景とオフ会について 投稿者:朝子さん 投稿日:2001/04/06(Fri) 17:40

>  「函館の夜景」が第3位に選ばれ……ひときわ輝いているのは、「摩周丸」なのですから。

sajiさんご報告ありがとうございます。知らなかった…、知っていたら私も1票投票したのにな…。でも、ほんとに嬉しいですね。堂々3位ですか…。きっと摩周の存続に一役買ってくれる事でしょう!!

ところで、だいぶ暖かくなってきましたね。以前HOW HOW駅員さんから、オフ会の話が出ていましたが、実行に移しません? HOW HOWさん幹事をやってくれませんか?

http://www.sxp.co.jp/onpo/


[144] 函館の夜景 投稿者:Saji 投稿日:2001/04/05(Thu) 12:49

 先日NHKの「21世紀に残したい日本の風景フィナーレ」を見ました。その中で、視聴者が選ぶ風景ベスト100というコーナーがあったのですが、函館山から見た「函館の夜景」が第3位に選ばれました。いやー、うれしいですね!なんといってもあの夜景の中心にひときわ輝いているのは、「摩周丸」なのですから。


[143] 写真展 投稿者:ひらり〜 投稿日:2001/04/03(Tue) 22:10

みなさんこんにちわ、いつも情報有り難うございます

さて、私事ではありますが、所属するグループで、写真展をすることになりました

あまり出来の良い写真ではなく、趣味でやっている会での写真展です

ここで、メインは人で出展しますが、1枚だけ、S63年に撮影した函舘での羊蹄丸を出展します。

4/14〜18日 場所は東京は大崎のo美術館です

あまり良い物ではありませんが、初めて「写真撮影」の為の旅行をしたとき、すなはち写真を本当に始めたきっかけとなった写真ですので、掲示することとしました

お近くの方、よろしかったらお越し下さると助かります

詳細は以下のURLで(ここには連絡船ありませんが)

http://www.246.ne.jp/~hirary/mayx/mayx.html


[142] Re:JNR型アンカー 投稿者:Masaru KAKEI 投稿日:2001/04/03(Tue) 01:27

こんばんは。kakei@Tokyoです。

朝子さんが書いてはりましたが....津軽丸以降の連絡船は国鉄型アンカーが使われていましたね。把駐力はすぐれているのですが....残念ながら余り使われていていないのは寂しい限りです。

その中でも、NTTのケーブル敷設船「すばる」に採用されたのは嬉しい限りです。私もその話は東大の生産研の浦教授から伺いました。

浦教授のHPです。ご参考までに。
(残念ながらJNR型の錨の研究はされなかったとのことですが、参考にはなります)
http://manta.iis.u-tokyo.ac.jp/research/anchorres.html


[141] 渡島丸の写真を追って 投稿者:アトラス 投稿日:2001/04/01(Sun) 17:01

2代目「渡島丸」が活躍したのは昭和44年から9年間と非常に短いのでカラー写真が余り残って居ません。
持ってる方、いらっしゃいますか?


[140] 国鉄型アンカー 投稿者:朝子さん 投稿日:2001/04/01(Sun) 16:27

昨夜、船関係に勤める旧友プラス彼等の恩師と飲み会。
摩周丸の事も多々話題になり、いろいろ貴重なアドバイスを頂けました。
その折り、「国鉄型アンカー」は優れ物で、NTTのケーブルSHIP「SUBARU」などの現役船に採用されているそう。国鉄なきあとも「国鉄型」という名称はナント今も残っているのだそうです。
なんだかとっても嬉しくなって、今度すばるのアンカーを写させてもらいに行くことにしました。


[139] 2才児も「れんらくしぇん」 投稿者:Saji 投稿日:2001/03/31(Sat) 22:23

 3月30日に家族で羊蹄丸に会いに行きました。ひと通り見学の後船内で昼食を摂り、船首で記念撮影。別れ際に2才半の息子が「羊蹄丸、またねー!」。
 彼にも連絡船を「心」ある存在として語りついでいきたいと思います。


[138] はじめまして 投稿者:KANTA 投稿日:2001/03/29(Thu) 20:31

こんにちは。フェリ−関係のペ−ジを転々としてやってきました。

現役時代の連絡船はあまり乗る機会がありませんでしたが、それでもペ−ジをみながら当時の事を思い出しました。いろいろと資料が充実していますね。特に廃止後の各船の行方大変興味深く拝見させていただきました。津軽丸(2)がまだ現役で働いていると聞いてびっくりしました。

現在趣味で集めているスタンプに関するペ−ジを運営していまして、わたしも廃止から13年経った日に青函連絡船のスタンプを特集したペ−ジを作ってみました。これらの印影は所持している方少ないと思うので貴重な資料かと自負しています。機会がありましたら是非一度のぞいてみて下さい。

また遊びにきます。では。

http://www2.xdsl.ne.jp/~kanta/special-index.html


[137] お休みだったの 投稿者:朝子さん 投稿日:2001/03/28(Wed) 20:53

横浜マリタイム・ミュージアムは、帆船日本丸のお隣にあったのだけれど、お休みでした。
放送ライブラリーは行ってきましたけれど。連絡船の検索をして、しっかり見てきました。
では、次回はマリタイム・ミュージアム? でも、はっきり言ってロイズ・レジスターに行った方が早いんじゃない?

http://www.sxp.co.jp/onpo/


[136] Re[129]: ロイズ・レジスター 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/03/28(Wed) 20:43

さっちゃん、いつもおせわさまです。

> 私の出入りさせて頂いている船の掲示板に、以前「ロイズ・レジスターについては、横浜マリタイム・ミュージアムというところで閲覧可能」との情報がありました。

横浜マリタイム・ミュージアム?。ついこのあいだ、ウチの仕事(取材)で近所まで行かなかった?>朝子さん


[135] Re[131]: えっ!健在ですか? 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/03/28(Wed) 18:12

檜山丸解体の情報は、アトラスさんもキャッチされていたようですから、そのころなんらかの動きがあったのかもしれません。

健在の情報が誤報だったら、これはもうショックですが、解体が誤報なら、めでたし。あとは現認あるのみ。


[134] Re[130]: 英語の連絡船ページ 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/03/28(Wed) 18:02

> 檜山丸健在だったのですねぇ。シンガポールに。

私も「シンガポールに係船」と理解しましたが、まだ韓国かもしれません。オーナーは韓国人との情報もあります。
でも、いちおうシンガポールで捜索してもらって。

> 余談ですが、連絡船関係の歴史を「英語で」綴ったページを発見しました。ご参考までに。

これは、私も発見していました。イラストもあって、けっこう詳しい。当サイトからもリンクしましたので、ご興味のある方はどうぞ。


[133] Re[130]: 英語の連絡船ページ 投稿者:朝子さん 投稿日:2001/03/27(Tue) 19:38

はじめまして、虎@Tokyoさん。

> 中学時代、連絡船に一緒に乗りに行った同期が....
> 今シンガポールの日本大使館でで書記官をやっていますが、捜索させましょうか?(笑)

(笑)をとって(!!)、是非!! 実際に目で確認するのが一番確かですもの。百聞は一見にしかず!

http://www.sxp.co.jp/onpo/


[132] 函館の報告 投稿者:朝子さん 投稿日:2001/03/27(Tue) 19:33

先週、函館に3か月ぶりで行ってきました。
議会の最中でしたが、摩周丸は保存される方向のようで、安心して帰ってまいりました。市の担当のみなさまの対応が心配していたよりもずっと愛情深く(青函連絡船に対して)、今後に期待したいと思います。摩周丸の今後(1〜2年)を考え、当分の間会を解散せず、できる限りの協力をしていきたいと考えております。

このホームページのBBSに、多数のみなさまから連絡船に関しての情報を書き込み頂き、心から感謝しております。
ひとつの情報が、みなさまの思いや記憶を刺激し、新たなる情報が書き込まれ、中には訂正される事や、また、それも覆される事もあると思いますが、知恵が出し合われ新しい情報が行き交うのは、とっても素晴らしい事だと思います。
埋もれていたら、一歩も進まない事が、きっかけひとつで新事実究明への扉を開くのですもの。間違っているかもしれない、と臆する事なく、これからも、どんどん書き込んでください。
よろしくお願いしますね!


http://www.sxp.co.jp/onpo/


[131] えっ!健在ですか? 投稿者:Saji 投稿日:2001/03/27(Tue) 15:43

 檜山丸健在の情報に驚いたり、よろこんだりです。私もロイズには気が廻りませんでした。昨年9月の解体が誤報でしたらすみません。
 ところでシンガポールといえば、私は「豚骨茶(バックテー)」という豚肉のスープが大好きです。


[130] 英語の連絡船ページ 投稿者: 投稿日:2001/03/27(Tue) 01:38

こんばんは。虎@Tokyoです。

檜山丸健在だったのですねぇ。シンガポールに。
中学時代、連絡船に一緒に乗りに行った同期が....
今シンガポールの日本大使館でで書記官をやっていますが、捜索させましょうか?(笑)

余談ですが、連絡船関係の歴史を「英語で」綴ったページを発見しました。ご参考までに。
http://www.asahi-net.or.jp/~mt5h-nitu/jrs/members/pearce/ships/ships2.htm


[129] Re[127]: 檜山丸健在の情報 投稿者:さっちゃん 投稿日:2001/03/26(Mon) 21:56

私の出入りさせて頂いている船の掲示板に、以前「ロイズ・レジスターについては、横浜マリタイム・ミュージアムというところで閲覧可能」との情報がありました。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/3729/


[128] 檜山丸のこと 投稿者:アトラス 投稿日:2001/03/26(Mon) 18:27

せつ@事務局さん、こんにちは。
檜山丸は健在ですか?それは良かったです。

檜山丸のその後で、私が承知して居るのは、
一昨年5月?に関門海峡を通過、韓国に向かったこと。
購入者はソウル本社の「チョン・ハイ・ジン・マリン」社。
で、その後の情報は有りませんでした。
知人づてに入手した情報では本欄にも有りましたが「昨年秋に解体」
との情報でロイズに気が回りませんでした。
シンガポール説が正しいと思います。
係船場所は未だ韓国国内なのでしょうか?


[127] 檜山丸健在の情報 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/03/26(Mon) 15:18

アトラスさんこんにちは。貴重な情報ありがとうございます。

青函連絡船のその後については、当会も調査中ですが、檜山丸健在の情報が入りましたので、みなさまにお知らせします。

これは、石黒代表が古川氏から聴いたもので、情報源はロイズ(ロイズ・レジスター?)です。
昨年の12月に所有がシンガポールの Prima Bridge Island に移り、「Rising Star III」として係船中であるとのことです。
ネタ元がロイズですので、確度は高いと思いますが、当会としても一度ロイズ・レジスターに行って、津軽丸ともども確認してこなくてはいけないな、とは思っています。

ちなみにロイズ・レジスターのホームページには、検索ページがあって、船名録(Register of Ships)の検索ができるのかと思ったら、これはサイト内の文字の検索だけでした。
だれか、最新版の「船名録」(CD-ROM版もある)の閲覧ができる環境にある人いませんか?


[126] そうそう、 投稿者:さっちゃん 投稿日:2001/03/22(Thu) 13:21

派手に色水吹き上げてましたねえ。(爆)

http://www5b.biglobe.ne.jp/~satie/


[125] さっちゃんさんの疑問の回答です 投稿者:アトラス 投稿日:2001/03/21(Wed) 14:37

そのとおりです。
「ゆうばり」は石狩丸を見送った後、午後、海峡を横断し函館港外で
待機、羊蹄丸を見送ったのでした。

羊蹄丸の見送りは函館港内では海保「すずらん」が先導し、併走して
函館市港務艇「つつじ」・共同通船「臥牛」・JR「かつとし丸」が
港外では海保「つがる」先導で東日本フェリー「べにりあ?」と
僚船「空知丸」・そして海自「ゆうばり」でした。
青森側の八甲田丸は海保「ちょうかい」です。


[124] Re[123]: 津軽海峡感動物語・・・ 投稿者:さっちゃん 投稿日:2001/03/20(Tue) 22:26

上り最終便の羊蹄丸からも横断幕付きの護衛艦を見ました。
夕刻で船名が確認できなかったのですが、あれも「ゆうばり」だったのでしょうか。

http://www.sxp.co.jp/renrakusen/


[123] 津軽海峡感動物語・・・ 投稿者:アトラス 投稿日:2001/03/19(Mon) 20:21

昭和63年3月13日午前9時40分。
予定外の運航として上り152便「石狩丸」は函館を出港した。
この便と折り返しの8011便をもって「石狩丸」は海峡に別れを告げる。
この日の乗務はT船長。何時も通りの指揮だった。
やがて陸奥湾に入り、それは平舘海峡あたりだろうか?
左手、大湊の方向から1隻の自衛艦が近づいて来た。
やがて自衛艦から呼び出しが有り「貴船(石狩丸)前方を横切りたいがよろしいか?」と聞いてきた。
石狩丸船橋のT船長は普段、この海域で自衛艦と会うのは珍しくなく
(海上自衛隊大湊地方隊がある為)特段危険もないため了解した。
やがて、その自衛艦は反航してきたが、何気なく双眼鏡を向けたT船長が見たものは・・・
何と自衛艦の乗員が1列に並び艦橋の側面には「ご苦労様連絡船」の
横断幕、旗流信号は「安航を祈る」と「ゴクロウサマ」の文字だ!
T船長は直ちに事務長に命じ船内放送をさせた。
乗客が甲板に走りでて来る!感動の一瞬だ!
自衛艦では「石狩丸」に対し敬礼と惜別の汽笛が鳴らされた。
返答する「石狩丸」の汽笛・・・。
やがて「石狩丸」と反航し終えた自衛艦は右転し、今度は「石狩丸」に併走し始めた。
今度は自衛艦の乗員が「帽ふれ」で見送り、再び大湊方面へと消えていった・・・。「石狩丸」に感動を残して・・・。

自衛艦は護衛艦「ゆうばり」であった。
この日、丁度陸奥湾を訓練中の「ゆうばり」は乗員の誰彼なく海峡を
ともに行動した仲間として此の「連絡船見送り」を思いつき、連絡船を発見して近づいたのが「石狩丸」だったと言う。

この話は私が後年「石狩丸」T船長から聞いた話で、大いに感動した
私は知人達の手を借り、当時の「ゆうばり」艦長を捜し出し、その後
「石狩丸」船長と対面させて上げたなかで聞いた話しです。
多少事情が有り、海上自衛隊の部内新聞性格の「海上自衛新聞」他の
わずかな新聞にしか掲載されませんでした。
ですが、この美談を埋もれさせたくなく13年経った今、此の掲示板でこの様な感動的な話しを報告させて頂きます。

連絡船終航当日は他にも海上保安庁巡視船「つがる」「ちょうかい」
「ゆきぐも」「すずらん」函館市港努艇「つつじ」などが出動し見送ったものでした。


[122] 追加 投稿者:アトラス 投稿日:2001/03/19(Mon) 19:28

旧「十勝丸」・第8青函丸の車両甲板から下が瀬戸内海で浮き桟橋
として使用された、或いはされている情報をお持ちの方、お知らせ下さい。


[121] 青函連絡船、その後(私見) 投稿者:アトラス 投稿日:2001/03/19(Mon) 19:27

この欄と私が収集した情報をまとめて、私見で各船のその後を簡単に
まとめてみました。
もし、誤り・詳細が有ればお知らせ下さい。

津軽丸
リビアで健在 現「アル・ジャワヘル」

八甲田丸
青森にて健在

松前丸
北朝鮮にて廃船

大雪丸
長崎にて健在 現「ホテルシップ・ヴィクトリア」

摩周丸
函館にて健在

羊蹄丸
東京にて健在

十和田丸
フィリピン・セブにて健在 現「フィリピン・ドリーム」

渡島丸
函館にて廃船

日高丸
台湾にて廃船

十勝丸
韓国にて廃船

空知丸
ギリシャにて健在 現「シー・セレナーデ」

檜山丸
韓国にて廃船

石狩丸
ギリシャにて健在 現「シー・ハーモニー2」

補助汽船 えさん丸
函館にて健在 現「第5新徳丸」

たっぴ丸
東南アジアにて健在

しらかみ丸
青森にて健在 現「第38豊丸」

かつとし丸
現時点で不明、四日市港か?

ふくうら丸
韓国にて廃船

ひうら丸
北海道石狩湾新港にて健在

以上ですが昔の補助汽船「第5鉄栄丸」が未だに瀬戸内海で活躍中
と言う驚くべき情報も入ってます。
又かなり以前ですが函館にて「第3鉄栄丸」「第4鉄栄丸」自動艇
「たけかぜ」が使用されてました。


[120] はや1年、というか13年 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/03/19(Mon) 01:03

昨年の青函連絡船十三回忌(語りつぐ青函連絡船の世紀)には、みなさまご来席いただきましてどうもありがとうございました。
先日、朝子さんのもとに、北山船長(有名人だから本名だしても問題ないでしょ)から、当夜のスナップ写真が送られてきました。それには、この掲示板の常連のみなさまの姿も写っており、あらためてご厚情に感謝する思いです
私が今でも無念に思うのは、イベント「語りつぐ青函連絡船の世紀」開催にあたって、みなさまからさまざまなご協力のお申し出やご提案をいただいたのを、すべて、冷たくお断りしたことです。
イベント開催にあたっては、われわれも写真展とパーティ以外にもいろいろな企画を立てたのですが、ひとつも実現にいたりませんでした。力がなかったとは思いたくありませんが、考えていたより状況は困難だったのです。結局のところ、われわれは単に摩周丸を借用して私的なイベント(写真展)を行うグループにすぎず、それ以上のことはできませんでした。
これは「汽笛のリレー」の場合でも同様でした。JR北海道の全面的支援を得て、こういう状況なわけですから…。道は険しい…。前途まだまだ多難…。
なんか奥歯にもののはさまったような言い方ばかりですが…。
やっぱ、公開BBSじゃ書けん!。オフ会に呼んで、酒飲まして酔わせてくれ!


[119] 補助汽船「えさん丸」その後 投稿者:アスコット 投稿日:2001/03/18(Sun) 09:26

結構前の本欄に「えさん丸」は?と出て居りましたが未だ健在です。
函館港の一角に係留されて居ります。
但し、稼働状況は良くないようですが・・・。

あと、檜山丸を購入したのはソウルに本社がある「チョン・ハイ・ジン・マリン」社です。
但し、韓国国内でその後転売されたのかも知れませんが・・・。

それにしても「かつとし丸」はどうしたのでしょうか?
流説にはシンガポールなんて話しも有りますが。


[118] オフ会したいなぁ 投稿者:HOW HOW 駅員 投稿日:2001/03/18(Sun) 00:16

右ヨシ!\(^o^) 左ヨシ!(^o^)/ HOW HOW 駅員です。 ∠(^-^) 敬礼!

こうして活発な連絡船フリークの出会いと情報交換の場所である「サロン海峡」の
オフ会って無いのでしょうか?。

一度、みんなでオフラインでの情報交換とか連絡船談義を函館でしたようにやりたいですね!

http://station.catorea.ne.jp/modelers/


[117] 青函忌 投稿者:HOW HOW 駅員 投稿日:2001/03/18(Sun) 00:08

右ヨシ!\(^o^) 左ヨシ!(^o^)/ HOW HOW 駅員です。 ∠(^-^) 敬礼!

3月13日って明確な呼称が無いですよね。σ(^-^)的には
「青函忌」と称してますが皆様はどうお思いでしょうか?

やはり終航を愛惜しむ為にも何か一般的な呼称を設けるのも
手かもしれませんね・・・。      以上

http://station.catorea.ne.jp/modelers/


[116] 遅ればせながらの終航記念日 投稿者:Masaru KAKEI 投稿日:2001/03/16(Fri) 23:49

こんばんは。kakei@Tokyoです。

終航日は家でテレビ録画に勤しんでいた記憶があります。
当時住んでいた大阪からは遠くて行けなかったですから。

一番印象に残っているのは終航の次の日〜3/14に当時の
就航船全隻が函館港に沖出しされていたことでしょうか?

とても印象に残っています。





[115] Re[114]: 白い船のページを作りました 投稿者:朝子さん 投稿日:2001/03/14(Wed) 14:32

HOW HOW 駅員さん、開業おめでとうございま〜す!
早速、覗きに行ってきました。すっきりとして見やすく分かりやすく、バックのデザインも素敵ですね。今後は、順次オープンされるのでしょうが、肝心の模型紹介を首を長くして待っていますよ。頑張ってね!

http://www.sxp.co.jp/onpo/


[114] 白い船のページを作りました 投稿者:HOW HOW 駅員 投稿日:2001/03/14(Wed) 10:36

右ヨシ!\(^o^) 左ヨシ!(^o^)/ HOW HOW 駅員です。 ∠(^-^) 敬礼!

この度、西暦2001年3月10日(イチサントー)に、連絡船を含む
白い船の模型を中心に紹介する駅員のページを開業させて頂きました。

青函連絡船や海上保安庁などの白い船に特化しているという意味で
珍しいと思うのですが、これで連絡船の模型について語り合える場所が
整備されたと言う事にもなりますので、模型談義等を掲示板でお気軽に
して戴ければ幸いです。
当分、増改築に時間を取られ、本来の模型紹介は遅れると思いますが、
皆様のご来場を心よりお待ちしております。∠(^-^)

http://station.catorea.ne.jp/modelers/


[113] 松前丸のその後 投稿者:c62_2_3niseko 投稿日:2001/03/14(Wed) 00:00

東奥日報の1996年11月5日の夕刊に昭和61年5月に北朝鮮の元山港で撮影された松前丸の写真が掲載されています。煙突部が北朝鮮の国旗同様に塗装されている他は船体はクリーム色と薄緑のツートンカラーのままです。しかしあまり手入れがされていないのか船体にサビが目立ちます。

この写真を撮影された方から松前丸はスクラップになったと聞いています。この新聞記事が松前丸の最後の姿かもしれませんね。

今も地中海で活躍する石狩丸、空知丸には末永く活躍してほしいものです。石狩丸(現シーハーモニー2世号)船長は1996年時点であと10年は使えると言っていました。


[112] 感慨無量 投稿者:朝子さん 投稿日:2001/03/13(Tue) 23:37

みなさんの書き込みを拝見して、感慨無量です。
私は、なんと、63.3.13は、ベッドの上で生死をさまよっていました。1月のあの「海峡の記憶」撮影に気力体力の全てを投入し、なんとか帰京し、現像アップとあとがきなどの仕事を終えた2月4日にバタっと倒れ、点滴のみで1週間。その後は、取材のある時だけ、這うように出かけ、あとはほとんどベッドの上でした。う〜ん、立ち直るのに数カ月かかったもん。
でも、今は元気です。
代わりに摩周ちゃんが…。あんまり心配なので、19日からちょっと函館に様子を探りに行ってきま〜す。

http://www.sxp.co.jp/onpo/


[111] Re[108]: 終航記念日 投稿者:ひらり〜 投稿日:2001/03/13(Tue) 23:00

o型台風様
わたしも、上野駅に行きました
なにせ、受験控えていて、高校生でお金なくって、それが精一杯の63・3・13でした

ということで、下に記載した新聞の切り抜き集めなんかしていました

http://www.246.ne.jp/~hirary


[110] 当時の新聞は青函でフィーバー 投稿者:ひらり〜 投稿日:2001/03/13(Tue) 22:58

終航当時の「読売新聞」です

3/1 ホラ弥寿の夢 青函トンネル企画者の話 写真に羊蹄丸と十和田丸(ヘリより)3/2 飢餓の海 洞爺丸と紫雲丸の事故
3/3 日本1週の旅 今は無きレインボーで青函トンネル、瀬戸大橋を巡るツアー
3/4 51・5大浸水
3/5 朝市 カードで良いよ
3/6 郵便列車復活 青函トンネル工事のツケ
3/7 観光ゾーンもドッキング
3/8 空白地帯 海峡線にもそでにされ
    「第2の船出」も波高し・・・ 洋上ホテルに待った 「大雪丸」
3/10 トンネルが生んだ友情
     連絡船さよならフィーバー 禁止の紙テープ復活
3/11 父さんやっぱりすごい
3/12 陸続き列車 あす出発
     青函あやかりフィーバー
     ロマンありがとう 青函連絡船(摩周丸船上より)
     惜別、紙テープ復活 あす最終便ドラ響く(摩周丸の写真)
     青函トンネルあす開業 上野−札幌間10時間52分に
3/13 一番列車へ興奮の列 青函トンネルきょう開業
     海峡記念日 熱気ピーク さよなら連絡船 トンネル一番列車
     北へ南へ線路は続く 津軽海峡万感の汽笛(羊蹄丸写真)
3/14 青函トンネル開業
     北斗星 味わい豊か(写真 作業員によってはずされた青函連絡船掲示板)

広告 3/13 あさ9:30〜 徳さんの「最後の青函連絡船」比羅夫丸羊蹄丸の写真
といったところが、当時の新聞記事でした。
やはり消えゆくものよりも、新しい青函トンネルが話題になっていたようですね


しかし、これだけ月日が経っても、まだ色あせずに話題につきないのも、連絡船ですね

http://www.246.ne.jp/~hirary


[109] 訂正 投稿者:O型台風 投稿日:2001/03/13(Tue) 22:43

> 「北斗星1号」の入線を出迎えながら、

上りですから、「北斗星2号」ですね。失礼致しました。

http://homepage2.nifty.com/~c5550/index.html


[108] Re[107]: 終航記念日 投稿者:O型台風 投稿日:2001/03/13(Tue) 22:38

ひらり〜さん、白井先生、感想を頂きましてありがとうございました。
ストレス…というより、自分自身の日頃のズボラさに呆れていました(^^;)。
使いたかったのに、出て来なかった写真が何枚もありまして…。

1988年3月13日…この日は某誌のお手伝いで、ほぼ一日札幌駅構内で改正初日の編成記録を取り続けていました。
「北斗星1号」の入線を出迎えながら、「ああ、最後の汽笛が鳴った頃だなぁ…」と考えていたのを思い出しました。

そうそう、この時、札幌駅はまだ高架化前の旧駅でした。

帰ってから、各局の特番のVTRを見たのですが…。
函館駅に到着した「日本海1号」の方向幕を某局がアップで撮影していたところ、なんと表示ミスの幕(よりによって、「特急なは 西鹿児島」と表示されていた…^^)が大写しになり、のけぞって笑ったのでした。

もう13年かぁ…あの時はまだ20代前半だったなぁ…(^^;)

http://homepage2.nifty.com/~c5550/index.html


[107] 終航記念日 投稿者:ひらり〜 投稿日:2001/03/13(Tue) 22:12

3月13日 何となく過ごしてしまったけど、ずいぶん時が流れましたね

あのころはまだ受験を控えた学生で、お金もなく、家でテレビ見てたことを思い出します

しかし、その時の船(大雪丸含む)のうち7隻が何とか活躍しているというのも、良い船であった証拠でしょうね

あとは津軽丸と松前丸はどうしているのだろうか?

と言ったところです。
今夜は「海峡の記憶」と当時の新聞記事をながめるとします

http://www.246.ne.jp/~hirary


[106] Re[101]: なかなか!! 投稿者:朝子さん 投稿日:2001/03/13(Tue) 20:21

チョコチョコ抜け出して…というには、なかなかどうして、しっかりした写真ではありませんか。ひらり〜さんの真似ではありませんが、連絡船の記録がひとつでも多く、残っていくことはとて嬉しいです。

> リンクをお願いしてからの「宿題」でしたので…少々ホッとしました(^^;)。
「宿題」とは、ちょっとストレスかけちゃったかな? ごめんなさいね。

http://www.sxp.co.jp/onpo/


[105] 八甲田丸の模型 投稿者:海の新幹線 投稿日:2001/03/13(Tue) 13:00

そうですね、青函連絡船の終航記念日(?)ですね。

近所の本屋に北海道新聞社から出ている「北海道の鉄道」という本が
あって連絡船のことも書いてありました。船見坂から函館市民が手を
振って羊蹄丸を見送っている写真も転載されていましたが、あれは
今でもジーンときますねえ。因みに裏表紙には、最終ひとつ前の檜山
丸出航のカラー写真が貼ってありますが、何故か本の解説には「出航
する摩周丸、後方は羊蹄丸」と書いてある・・あらあら(笑)。

摩周丸や八甲田丸の話しが出てますが、私がよく行く羊蹄丸も売店
やゲームコーナー(喫茶店の脇)が年末にはなくなっており、ガラン
として寂しさを感じました。函館シーポートプラザは存続問題がある
のでしょうか?今年のGWには、北海道へ飛ぶ予定なのでまた会ってこ
ようと思うのですが・・・。

話しは変わりますが、作った八甲田丸の模型写真を下のページに載せ
ました。興味のあるかたは覗いてみてください。製作にあたり、HPで
貴重な情報を頂いたHOW HOW駅員様はじめ、情報をいただいたみなさ
まに改めて感謝申し上げます。また、模型写真は本HPの資料集など、
二次使用していただいても結構です。

http://page.freett.com/seikanferry/hakkoudamaru.htm


[104] 3年前の津軽丸の状況 投稿者:c62_2_3niseko 投稿日:2001/03/13(Tue) 10:22

今日は青函連絡船終航の日ですね。最近、旧青函連絡船の情報がいろいろと出ていますが、いい機会ですので3年前の中東における津軽丸の正確な情報を書き込みます。私は1996年6月にスエズ港で偶然、津軽丸を発見しました。その時は旧石狩丸、旧空知丸の活躍を追って北●道新聞社の協力を得てキプロス、ギリシャへ行かねばならず時間的制約もあって調査を断念しました。

1998年2月に日本の某報道機関の方の協力を頂き津軽丸の再調査を現地で行いました。カイロで数日間の情報収集の後、現地採用のエジプト人記者と一緒にスエズに行き、沖合に停泊している津軽丸の撮影と取材を行うことにしました。

津軽丸は1987年にサウジアラビアの実業家が経営する船舶会社に引き取られました。船は北朝鮮からレンタルの形式を取ったので運航乗組員は北朝鮮の人が担当していました。船名は北朝鮮での「へ・ヨン」から「アル・ジャワヘル」と改名されました。アル・ジャワヘルとはアラビア語で「宝石」の意味です。

就航航路はエジプト(スエズ)ーサウジアラビア(ジェッダ)ースーダン(ポートスーダン)を定期航路で結び、イスラム教徒の巡礼期にはスエズ運河を通り抜けて地中海へ出てリビアへも行っていました。旧車両甲板は自動車を積めるように改装され新たに船尾扉が設けられています。

アル・ジャワヘル号の運航中止の理由はサウジアラビア人実業家がエジプト政府に支払わねばならない税金の滞納のためエジプト政府がアル・ジャワヘル号を差し押さえてしまったのです。運航停止に至ったのは1996年春とのことです。

以来、津軽丸はスエズ港の沖合に係留されたまま売りに出されています。私が調査に行った時は船首左舷側にへこみが生じ、元食堂のあった右舷の窓に火災の痕跡が見られました。

一昨年の12月に元大雪丸船長のK山氏より船舶関係者が読む英字新聞にスエズに係留中の津軽丸が火災により沈没した記事が出ていたらしいとの話を聞かされました。以後、連絡船乗組員OBの方からも津軽丸沈没の真実を知りたいとの要望が出ていました。「語り継ぐ青函連絡船…」代表の石黒氏も私に会うたびに「津軽丸は本当に沈んだのでしょうか?」と聞かれ胸が痛みました。

今年中に現地に飛んで調べてみようと思っていた矢先に当掲示板に「津軽丸は昨年無事が確認された」と書き込みがあったので驚いています。津軽丸は今もスエズ港沖合に係留されたままなのでしょうか?それとも新たな船舶会社に引き取られて客船として動いているのでしょうか?Saji様の掲示板への書き込みに期待しています。

1998年3月現在の津軽丸の写真は北海道新聞(3月11日朝刊)、東奥日報(3月22日朝刊)に掲載されていますので興味のある方は図書館でご覧ください。


[103] HP拝見させていただきました 投稿者:ひらり〜 投稿日:2001/03/12(Mon) 20:48

O型台風さん、
HP拝見いたしました

>函館市電の撮影の合間に、チョコチョコと抜け出して撮影していた写真ですので、・・・
いえいえ、素晴らしい写真ですね、
また、良く色落ちもせずに、こんなにキレイにスキャンできるんですから、保存状態も万全だったのでしょうね

また一つ、青函連絡船のページが出来たことに感謝します

http://www.246.ne.jp/~hirary


[102] Re[98]: 津軽丸の情報 投稿者:朝子さん 投稿日:2001/03/12(Mon) 15:02

>津軽丸は昨年無事が確認されて安心しました。

沈んだとのウワサは旧大雪だったのですか…。
津軽丸が無事? …絶句…ワクワク…どこで確認されたのでしょうか?ご存じの限り、もう少し詳しくおしえてください! Sajiさん!!
摩周たちの長女ですので、是非、詳しい情報が知りたいです。
明日13日は、青函連絡船終航の日。

http://www.sxp.co.jp/onpo/


[101] やっと完成しました! 投稿者:O型台風 投稿日:2001/03/12(Mon) 02:38

ウチのHPの「青函連絡船メモリアル」のページをUpしました。
函館市電の撮影の合間に、チョコチョコと抜け出して撮影していた写真ですので、あまりよい出来ではありませんが、よろしければご笑覧ください。

リンクをお願いしてからの「宿題」でしたので…少々ホッとしました(^^;)。

http://homepage2.nifty.com/~c5550/index.html


[100] Re[98]: 津軽丸 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/03/12(Mon) 00:08

津軽丸って、まだ生きているんですか? 火災にあったあと廃船になったらしい、というウワサもきいたのですが…。さぞ、当会の石黒隆代表がよろこぶことと思います。今も、スエズにいるのですか?


[99] Re[97]:世界最悪の海難事故 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/03/12(Mon) 00:00

沈んだのは、ひめゆり丸でしたか。この事件の第一報は、定員1600人のうち生存者24名で、1500人以上が死亡・絶望ということだったんですが、当初から定員オーバーで3000人は乗ってたんじゃないか、ということでした。なにせ乗船名簿自体がいいかげんで、実数はうやむやになると思われたのですが、フィリピン政府が威信にかけて事故調査を行い、乗船者数4341人、うち生存者24人という調査結果が、1年ちょっとあとに公表されました。


[98] 無題 投稿者:Saji 投稿日:2001/03/11(Sun) 12:38

日本から売却された船って(海外で)よく沈みますよね。旧大雪丸が沈んだ情報が一部「津軽丸」として誤報されたことがあるのですが、津軽丸は昨年無事が確認されて安心しました。
 3月1日には青森で旧しらかみ丸に会ってきました。一時期東京におり、砂利運搬船の後押しをしていた関係で、視界確保のため操舵室の上にまた操舵室が作ってあって少々不格好ですが、現役でいてくれるだけでもありがたいと思います。その向うには八甲田丸が展示されていますが、オープン当時にくらべて淋しい入場者でした。売店やレストランも縮小されて。...そういえば八甲田丸の車両甲板って・・・船尾扉が開くんですよね!


[97] Re[94][93]: 世界最悪の海難事故 投稿者:山鳩つばさ 投稿日:2001/03/11(Sun) 08:08

> あ、それからフィリピンで沈んだ船は、元・日本の沖縄航路のフェリーだそうです(船の名は分かりません。すいません)。そういえば、元「さんふらわあ」もフィリピンで沈んだなぁ。

この船のことについて調べました。

日本時代の名前は「ひめゆり丸」(2640トン)といって1963年竣工ですから津軽丸とほぼ同期生の船です。フェリーというよりは客船で鹿児島ー那覇間に就航してました(運航会社:琉球海運)なおこの航路は台風の通過海域なので復元性と凌波性に留意して作られた船だそうです。
1975年フィリピンの海運会社に売却され「ドン・スピルシオ」→「ドニャ・パス」という名前に代わり1987年12月ルソン島沖でタンカーと衝突炎上約3000名が死亡する世界海運史上最大の事故となりました。なお、この事件に後日談があり当時廃止が決まった青函連絡船の1艘を無償提供できないかとフィリピン政府から日本政府に打診があったそうです。これは当然拒否されました。


[96] 明日で1周年 投稿者:朝子さん 投稿日:2001/03/10(Sat) 18:32

「青函連絡船を語りつぐ夕べ」の3月11日からもう1年も経つんですねぇ。この1年間、みなさんにはいろいろお世話になりました。本当にありがとうございました。
また、ここにご登場のみなさんをはじめ、連絡船を愛する多くのみなさんに巡り会うことが出来た事は、とても嬉しい事でした。
今、函館の議会では、摩周丸の経営母体であるシーポートプラザの存続がらみで、我が摩周ちゃんの行方が、一般質問でもとりあげられています。啓蟄も過ぎたというのに、どうにも元気がでない朝子さんなのですが、送られてくるFAXを見ていると、心は穏やかならぬ…。摩周を守らなければ、八甲田にも影響がでるでしょうしね。
キハ82のいるお船に行って、御祓いしてあげなくちゃいけないようだし…。
1周年を目前に、涙がでてきそうな、朝子さんです。

http://www.sxp.co.jp/onpo/


[95] Re[91][92]: 怪談の件 投稿者:ちゅう 投稿日:2001/03/10(Sat) 01:30

(さっちゃんさん)
> ありゃりゃ、実は全然分からずに読んでいたんですが、キハ82がいる船のことだったんですか。(゚o゚)

(せつ@事務局さん)
>でも、その話、やっぱりキハ82のいる船のことなの?

私のサイトではないのでここに書けませんが、読む限り内容からあそこ以外考えられないかと思います..

# ああ、恐がりだから忘れようと思ったのに“焼き付け”の様な書き込みしてしまった..


[94] Re[93]: 世界最悪の海難事故 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/03/10(Sat) 00:22

あ、それからフィリピンで沈んだ船は、元・日本の沖縄航路のフェリーだそうです(船の名は分かりません。すいません)。そういえば、元「さんふらわあ」もフィリピンで沈んだなぁ。


[93] 世界最悪の海難事故 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/03/10(Sat) 00:13

最近、ネットで青函連絡船のことを調べていて、とても気になることがあります。洞爺丸事件のことですが、これがたいてい「タイタニック号に次ぐ世界第二の海難事故」という文句がついているんですね。

最大とか最悪というのは死亡者数でいっているわけですが、死者が世界(これも近代または20世紀とするのが正しい。近世以前については分からない)最大なのは、1987年におきたフィリピンのフェリーがタンカーと衝突して炎上沈没した事故の4317人です。フィリピンでは毎年のようにフェリーが沈んで死者が出ているのですが、これは頭抜けてます。日本人をはじめ外国人の死者がいなかった?(詳細不明)ためか、あまり話題になりませんでしたが、私は新聞の記事を読んで「これで洞爺丸事件の順位がさがったな」と、わけのわからん感慨をもったものです。

また、このフィリピンでの事件以前も、タイタニック号ではなく1917年にフランスの輸送船モンブラン号がベルギー船と衝突炎上して1600人が死亡したのが世界最悪という説もあります。

いずれにしても「洞爺丸事件はタイタニック号に次ぐ世界第二の海難事故」という記述・表現は誤りです。


[92] 船の底から… 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/03/09(Fri) 23:42

『The Notes 海峡の記憶』に「係船当番で有川とドックに何回か行きました。24時間一人勤務でした。風の強い日は船底から女の声が聞こえてくると言われ、朝が来るのが待ち遠しかったです」というコメントが載っています。船を我が家のように思う船乗りでも、怖いものは怖いのかも…

七重浜の話は、もう古典ですね。東京だと青山墓地の話とか…。
私は幽霊そのものは見たことはありませんが、憑依された人を目の前で見たことがありますし、私自信も恐怖体験をしたことがあります。でも、幽霊とかおばけの類は、まったくほんとうに全然信じていません(怖がりですけど…)。もし、悪霊にとり憑かれてお困りの方は、圧縮して添付ファイルにして私までメールで送ってください。速やかにお祓いいたします。

でも、その話、やっぱりキハ82のいる船のことなの?


[91] re:Re[90][87]: 面白い話を見つけました 投稿者:さっちゃん 投稿日:2001/03/09(Fri) 21:33

> 車両甲板が好きで、行くたびにキハ82に会いに行くのですが、あの場所って人少ないんですよね..足音響くし。
> 次に行くのが怖くなってしまいました。 さっちゃんさん (笑)
ありゃりゃ、実は全然分からずに読んでいたんですが、キハ82がいる船のことだったんですか。(゚o゚)

でも、七重浜の怪談は『洞爺丸はなぜ沈んだか』のあとがきにも現れてますね。

http://www.sxp.co.jp/renrakusen/


[90] Re[87]: 面白い話を見つけました 投稿者:ちゅう 投稿日:2001/03/09(Fri) 16:15

里見さんのサイトには良くお邪魔してましたので、あの話も読んでいました。
「忘れよう、忘れよう」と思い、ようやく忘れていたのに..

車両甲板が好きで、行くたびにキハ82に会いに行くのですが、あの場所って人少ないんですよね..足音響くし。
次に行くのが怖くなってしまいました。 さっちゃんさん (笑)

http://hp1.cyberstation.ne.jp/cyuu/


[89] Re[75][74]: 大雪丸(I)のその後 投稿者:東村 光 投稿日:2001/03/09(Fri) 00:25

東村 光です。大雪丸(初代)についての貴重な情報有り難う御座います。
そうですか、既に大雪丸もその姿を見ることは出来なかったのですね。
また檜山丸解体も残念な話ですね。
残った船の今後を祈ります。

http://members.tripod.co.jp/TOSON2660/


[88] 連絡船の等級について 投稿者:山鳩つばさ 投稿日:2001/03/08(Thu) 22:31

おばんです。

昭和30年以前の1・2・3等時代の船室の設備について分かることがあればご教示下されば幸いです。

洞爺丸が現役の頃の3等船室は船底(というより車両甲板の下)で畳敷きの大広間という話をよく聞きますし、3等椅子席はどのようなものだったのか?(客車のオハ35型のような直角シート見たいな物と想像してます。)そう言う点を知りたいです。


[87] 面白い話を見つけました 投稿者:さっちゃん 投稿日:2001/03/08(Thu) 12:05

http://hokuso.com/minwa/html-minwa-04.html
洞爺丸より、現在の某保存船の方が恐い……

http://www5b.biglobe.ne.jp/~satie/


[86] Re[84]: 檜山丸 投稿者:さっちゃん 投稿日:2001/03/08(Thu) 11:24

> 船舶振興会からみだったから安心してたけど・・・
やっぱり羊蹄丸だけで手いっぱいだったへ(。。へ☆\^^;チガウダロ

http://www5b.biglobe.ne.jp/~satie/


[85] TongYang(東洋)では・・・ 投稿者:海の新幹線 投稿日:2001/03/07(Wed) 12:47

釜山から木浦とチェジュ両方に船を出している会社となると、韓国の
東洋カーフェリー鰍ノ檜山丸は引き取られたのではないでしょうか。
あくまで推測ですが。


[84] 檜山丸 投稿者:ひらり〜 投稿日:2001/03/06(Tue) 21:47

ご無沙汰しています。

桧山丸解体ですか、非常に残念ですね
津軽丸型に廃船がでていない(だぶん)だけに、それより新しい客貨改造船がなくなるなんて、思ってなかった

近いうちチェジュにいって、ぜひ乗りたいと思っていたのですが、残念です

一時期韓国の観光公社に問い合わせたのですが、わかりませんでした。プサンからチェジュ、木浦に行くはずだったらしいのですけどね

なんか船舶振興会からみだったから安心してたけど・・・

http://www.246.ne.jp/~hirary


[83] Re[81]: リンク 投稿者:さっちゃん 投稿日:2001/03/06(Tue) 18:30

> やはり僕らの世代には、津軽丸型のほうに愛着があって…2便と102便が並んでいると、乗るのは常に前者でした。
> 一度くらい乗っておくべきだったなぁ…。
私の場合、乗ったことない船名を選ぶこともあったので、乗れなかったのは津軽丸・松前丸を除くと「乗りに行ったら既にいなかった」大雪丸でした。
一度ゆっくり長崎に遭いに行かないといけないなあと思っております。

「摩周丸と桧山丸だって。どっちにする?」と聞いたら
「どっちって、こっち(摩周丸)の方が混んでるじゃねえか。あっち(桧山丸)にしよ!」
こう言って一緒に乗り込んだオヤジが先日亡くなりました。桧山丸と聞いて思い出してしまった。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~satie/


[82] Re[81]: リンク 投稿者:テケミ 投稿日:2001/03/06(Tue) 01:40

はじめまして。
みなさんの青函連絡船談義を読ませていただいて、とても懐かしい話題にたまらなくなって投稿させていただきます。以後、「読み知りおき」をよろしくお願い申し上げます。
>
> 檜山丸が解体ですか…。
> 檜山丸と石狩丸にはとうとう乗る機会がなかったんですよね。
> やはり僕らの世代には、津軽丸型のほうに愛着があって…2便と102便が並んでいると、乗るのは常に前者でした。
> 一度くらい乗っておくべきだったなぁ…。

檜山が解体ですか。
私も津軽丸型贔屓ですが、一度だけ101便の檜山に乗りました。青函連絡船最後の大晦日でした。青森では0:00丁度に1便の出港スタンバイの汽笛が鳴りますが、連絡船最後の年の、最初の汽笛を船上で聴きたくて檜山のデッキにいました。夜行臨時客扱い便ということもあってか、船自体の印象はあまりないのですが、あの日の青森連絡船待合室は、全盛期の帰省混雑を思わせる賑わいで、よい雰囲気でした。でも、地元の子供たちの合唱団が送迎デッキで歌っていたり、TV局の女性リポーターがストップウォッチとにらめっこをしながら、一心不乱にリポート原稿を書いていたのが、「最後の大晦日」をいやが上にも印象深いものにしていました。
ところで、連絡船が廃止されて約1年後の89年4月に、晴海で思いがけず檜山に再会しました。展示会場からの帰途、たまには違うルートでと、日の出桟橋への船乗り場に向かったら、視界に飛び込んできたのは、建物の向こうに停泊している船のあまりにも見慣れたトップマスト、メインファンネル、サブファンネル!どきっ!!とした次の瞬間には、もう船に向かって走り出していました。21世紀号です。ちょうど、岸壁におられた船長の今井泉さん(もと松前丸船長で、宇高連絡船船長を退職された後は、サスペンスドラマ「船長シリーズ」の作家としても有名な方ですよね。)に許可をいただき、船内をくまなく歩き回らせていただきました。船内の匂いや、エンジンの響きがたまらなく懐かしくて、母親の胎内に戻ったような安らぎと幸福感に満たされたひとときでした。。。。
その船も、もうこの世にいないのですね。今井船長も、お元気なのでしょうか。


[81] リンク 投稿者:O型台風 投稿日:2001/03/06(Tue) 00:13

遅くなりましたが、このたびはお手数をおかけ致しました。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。

檜山丸が解体ですか…。
檜山丸と石狩丸にはとうとう乗る機会がなかったんですよね。
やはり僕らの世代には、津軽丸型のほうに愛着があって…2便と102便が並んでいると、乗るのは常に前者でした。
一度くらい乗っておくべきだったなぁ…。

http://homepage2.nifty.com/~c5550/index.html


[80] ショック・・ 投稿者:海の新幹線 投稿日:2001/03/05(Mon) 12:31

少年の船協会21世紀号(旧檜山丸)、えーっ。
韓国で解体されてしまったのですか・・・非常に残念です・・・。
玉野で繋がれっぱなしだったのが、効いちゃったんでしょうか。
終航を飾った船はまだ各地で元気だと思っていましたが、ついに解体
が出てしまったのですね。ところで、前から知りたいと思っていたの
ですが、檜山丸は韓国のどのフェリー会社に買い取られたのかご存知
の方はいらっしゃいますでしょうか?

余談パート2ですが、バンモデリング製の「八甲田丸」をJR北海道仕
様に改造して先日完成(竣工)いたしました。ディテール部分の再現
具合は、噂の通り素晴らしいモデルですね。空知丸(渡島丸改)につ
いては、塗装ムラが出てしまって塗りなおし・・という有様です。


[79] Re:五プラ 投稿者:Masaru KAKEI 投稿日:2001/03/04(Sun) 01:02

こんばんは。kakei@Tokyoです。

今日は行って来ました。渋谷へ。カール・ツァイスのプラネタリウムを見に。(レンズだけでなく投影機本体がツァイス製です。)凄い人でした。タイスの瞑想曲などに涙してしまうのでした。

最近の日本国内のプラネタリウムは殆どがミノルタ製です。

五プラや上野の博物館群もデートには使えましたが、駅や港も良いですね。
でも最近思う事。静かな場所が減ったのです。
何を見に行くにしても。何か物見遊山用の場所がある。
そういう時代なのかしら??

栄えあるBCS賞(建築業協会賞)第1号の東京タワーは暫くは安泰と思いますが....それより前に建った赤坂TBSのテレビ塔は解体されましたね(爆笑)


[78] Re[76]: 五島プラネタリウム 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/03/03(Sat) 22:12

おー、五島プラネタリウムですか。中学生のとき行きましたよ。その後、デートにも使いました。
今時の人は、デートでプラネタリウムなんか行かないのかなー。私らのころは、デートは映画とか美術館、公園、街でぶらぶらで終わり。夜には家まで送って、さよならだったんだよね。「純情」でした。ええ、もちろん10代のころの話ですよ。喫茶店に入ると補導された時代でした。

レンズがカールツァイス製とは知らなんだ。日本のメーカーはプラネタリウム用のレンズのノウハウなんか、なかった時代なんじゃないのかな。

このBBSの読者(ウェブの閲覧者ってなんていうの?)の大多数の人にとっては、「白鳥」にしても「五島プラネタリウム」にしても、古いものがなくなっていくという印象かもしれませんが、私らにとっては、同級生、同時代が消えていくような感じです。東京タワーが解体なんて話になったらどうしよう…。


[77] 21世紀号 投稿者:Saji 投稿日:2001/03/03(Sat) 15:21

韓国に売却された青函連絡船檜山丸2改め21世紀号ですが、昨年9月に解体されたそうです。手入れをされずにいた期間が長く、かなり傷みがきており、修復して使うよりも新造したほうが安いとの理由だそうです。残念ですね。


[76] 五島プラネタリウム 投稿者:Masaru KAKEI 投稿日:2001/03/03(Sat) 02:35

kakei@Tokyoです。ご無沙汰しております。

ちょっと毛色の違う話ですが、渋谷の五島プラネタリウム(東急文化会館内)が11日で閉館となります。最近はその話を聞いてか....かなりの人で賑わっています。

ここのプラネタリウム、日本でも殆ど残っていないカール・ツァイス製だとか。一見の価値はあると思います。

連絡船や「白鳥」もそうですが....味のあるものがなくなってゆきますね。便利さだけで割り切りたくないのですが。残念。


[75] Re[74]: 大雪丸(I)のその後 投稿者:山鳩つばさ 投稿日:2001/03/02(Fri) 22:20

> 東村 光さん、当BBSへようこそ。
> 初代大雪丸はエーゲ海にいって、その後どうなったのでしょうか?
東村様はじめまして。

初代大雪丸はギリシャに売却後カーフェリーに改装され(エンジンはディーゼル化)ソル・フリン(Sol-Phryne)という名前でギリシャーキプロスーシリア間で運航されていました。1988年2月にパレルチナ側からチャーターされイスラエルに向かって難民輸送する直前イスラエルの特殊部隊によって爆破され航行不能になりました。これについては同時期の朝日新聞(2月16日前後)と世界の艦船(88年6月号あたり)に記事が出ています。その後復旧し同じ航路で運航されたようですが1991年11月5日にセルビアの内乱で武器輸送の疑いでアドリア海で
攻撃を受けて沈没したそうです。以上が私の知りうる初代大雪丸の最後です。


[74] 大雪丸(I)のその後 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/03/02(Fri) 13:32

東村 光さん、当BBSへようこそ。
初代大雪丸はエーゲ海にいって、その後どうなったのでしょうか?
もう、走ってないと思いますが。だれか詳しい人教えてあげてください。

それから、ネット(ウェブもメールも)では、ローマ数字、丸数字など機種依存外字は使わないほうがいいです。たとえばWINのローマ数字「I」は、Macでは「(特)」になってしまいます。
ちなみに、Macの人は表示フォントをポストスクリプトまたはATM系にしておくと、WINのローマ数字、丸数字を正しく表示できます。私はそうしていますが、そうすると、当然ながらこんどはMacの外字が正しく表示されなくなってしまうんですね。困ったもんだ。


[73] Re[70]: 「白鳥」廃止 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/03/02(Fri) 00:06

「白鳥」かー。やっぱキハ82時代だなー。そう、キハ80系量産形(キハ82系)は「白鳥」でデビューして、「白鳥形」と呼ばれていたんだよね。
なんたって食堂車2両連結して(併合運転区間中)走ってたんだもんなー。「今じゃ、とても考えられない」と、私が20年前に出した本にも書いてある。


[72] ホテルシップヴィクトリアのページ 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/03/01(Thu) 23:34

ホテルシップヴィクトリア(元青函連絡船大雪丸)のページを発見しました。「バナナビナガサキ」というサイトの一角です。いままでさんざん検索かけても出なかったので新登場と思うのですが…。広告というか、なんか中途半端なページなんですけど、当サイトからリンクしましたので見にいってください。ただし情報量は少ないです。
本家「ハヤシマリン」のサイトにはあいかわらず、「ヴィクトリア」の詳しい紹介はないみたいです。


[71] 大雪丸(T) 投稿者:東村 光 投稿日:2001/03/01(Thu) 21:37

大雪丸(T)ってどうなっているんでしょうか?
どなたか御存知の方がいらっしゃれば御教授下さい。

http://members.tripod.co.jp/TOSON2660/


[70] 「白鳥」廃止 投稿者:O型台風 投稿日:2001/03/01(Thu) 20:38

いよいよ明日になりましたね。
また「連絡船の時代」が彼方に去っていくような気もします。
1961年10月改正時の新設特急で唯一、登場当初の区間を走りつづけて来た特急でしたし(経由地は変わっていますが)…。

http://homepage2.nifty.com/~c5550/index.html


[69] Re[67]: 駅の音 投稿者:さっちゃん 投稿日:2001/03/01(Thu) 09:36

> すっかり忘れていましたがこの付録CDの製品版を以前買おうかと思っていたのですが
わお、トランヴェールいらないからこっちのCDが欲しいなあ。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~satie/


[68] いろいろありがとう 投稿者:朝子さん 投稿日:2001/02/28(Wed) 18:07

さっちゃん、ちゅうさん、回答を有り難うございました。
早速事務所で、音を出してくれる人がいて、拝聴しました。

http://www.sxp.co.jp/onpo/


[67] 駅の音 投稿者:ちゅう 投稿日:2001/02/28(Wed) 13:13

これ営業妨害になっちゃうかも..(笑)
すっかり忘れていましたがこの付録CDの製品版を以前買おうかと思っていたのですが
下記URLでReal Player を使い試聴できます。 青森駅も函館駅も..

良かったら買ってあげて下さい。<フォロー

http://www.nifty.ne.jp/forum/ftravelh/ototabi/try.html


[66] Re[64]: トランブェールって? 投稿者:ちゅう 投稿日:2001/02/28(Wed) 12:36

私もグリーン車に良く乗る人に毎月(笑)もらっていますが付いてなかったです。
先ほど駅で返品用に縛って有ったものをほどいてもらい、購入して来ました。300円は安いです。(1000円でも良いぐらい)

明日3月号が発売されるので購入は難しいかも..
下記URLで通販してくれますよ。

さっちゃんさん 情報ありがとうございます。
# セタ線の掲示板と、同じ方とは気が付きませんでした(笑)

http://www.nifty.ne.jp/forum/ftravelh/release/trainvert/index.htm


[65] Re[64]: トランブェールって? 投稿者:さっちゃん 投稿日:2001/02/28(Wed) 10:01

> トランヴェールってJR東日本? それともJR北海道? それとも、全然関係ないのかな?
JR東日本(の関連会社?)から出てるやつです。尚、寝台特急の個室や特急のグリーン車で無料で配布されているバージョンには、CDは付いていなかったとのことでした。
もう通勤経路のキオスクには見当りませんでした。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~satie/


[64] トランブェールって? 投稿者:朝子さん 投稿日:2001/02/28(Wed) 01:51

> トランヴェール誌2月号に、昔の鉄道の音が入ったCDが付録になっていて、青函連絡船乗り換えを案内する青森駅の構内放送も入っているとのことです。

トランヴェールってJR東日本? それともJR北海道? それとも、全然関係ないのかな?


[63] 未確認情報 投稿者:さっちゃん 投稿日:2001/02/25(Sun) 21:21

トランヴェール誌2月号に、昔の鉄道の音が入ったCDが付録になっていて、青函連絡船乗り換えを案内する青森駅の構内放送も入っているとのことです。

http://www.sxp.co.jp/renrakusen/


[62] Re[57]: 誰が決めたのという程でも・・・ 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/02/21(Wed) 00:32

>  あと、空知丸型の「うすい桜色」って私には「白」にしか見えなかったんですけど。

Sajiさんいろいろ情報ありがとうございます。
そう、「うすい桜色」または「ライトピンク」って、白にしか見えなかったですよね。写真でも分からない。
真相は…、しばし待たれよ。


[61] Re[59]: 少し趣向を変えまして 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/02/21(Wed) 00:09

> 旅人となり初夏の霧を浴ぶ青森の朝はこだての昼
>
> 与謝野晶子の歌にこういうのがありました。

おー、こういうのありましたか。与謝野晶子、この歌、いいですねー。直接は表現されてませんけど、ベースは当然連絡船です。文学はもっと掘り下げたいですねー。

ちなみに、朝子さんは著作権問題で孫の与謝野馨文部大臣(当時)に陳情にいって、会見したことがあります(これで写真著作権の死後期限が延びた。当会とはぜんぜん関係ないですけど…。朝子さんはいろいろな分野でがんばっています)。

それから「歌」のほうも協力よろしく(今のところネタ情報ナシ)。


[60] 本棚ひっくり返したら! 投稿者:山鳩つばさ 投稿日:2001/02/20(Tue) 23:29

青函連絡船の本が他にないかなと思って本棚ひっくり返したら出てきたのでしばしご紹介・・・。

写真集「海峡の交響詩」 撮影:野呂希一 1988年 阿部綜合印刷鰹o版事業部
写真集「海峡のフィナーレ」 撮影:和田光弘 1988 Bee Books
鉄道ファン 1988年4月号 「特別企画:惜別鉄道連絡船」
鉄道ピクトリアル 1988年3月号 「特集:日本の鉄道連絡船」

というのが出てきました。


[59] 少し趣向を変えまして 投稿者:さっちゃん 投稿日:2001/02/19(Mon) 17:50

旅人となり初夏の霧を浴ぶ青森の朝はこだての昼

与謝野晶子の歌にこういうのがありました。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~satie/


[58] 補助汽船かつとし丸 投稿者:Saji 投稿日:2001/02/18(Sun) 22:57

 四日市港で活躍しているはずだった元青函連絡船の補助汽船「かつとし丸」が、今年の船舶名簿から外れているそうです。
 どなたか消息をご存知の方はいらっしゃいませんか?


[57] 誰が決めたのという程でも・・・ 投稿者:Saji 投稿日:2001/02/15(Thu) 01:13

 連絡船の船体色が決まるまでのエピソードが、「続・連絡船ドック」に記されていましたので抄録しておきます。ちなみに、連絡船と共にあった「塗装規定」は昭和40年3月末日を最後に消滅してしまったそうです。
 津軽丸型の塗色は国鉄の重役会議では当初、『各造船所に任せる』ということになり、津軽丸と八甲田丸は造船所案の通りの姿で就航しました。松前丸は青函局(?)の重役の方の意向により計画より濃い緑に、松前丸よりもっと濃い緑にしたい(大雪丸)、ひかり号の色が良いから(摩周丸)、旧こだまの特急色(羊蹄丸・・・でも晩年は交直流電機・電車の赤に近かったですよね)等。
 あと、空知丸型の「うすい桜色」って私には「白」にしか見えなかったんですけど。


[56] Re[53]: 青函連絡船の塗色 投稿者:Saji 投稿日:2001/02/15(Thu) 00:28


> 津軽丸型(それ以降も)の新塗色って、何年のことでしたっけ、初歩の質問ですみません。ご存じの方、教えてください。

 津軽丸は昭和42年4月、八甲田丸は44年9月、松前丸は44年12月、大雪丸は41年3月です。ちなみに八甲田丸の就航当初の煙突は十和田丸の船体よりも薄いオレンジに白い帯、後部マストは上下とも乳白色です。同様に松前丸は帯の塗分けなしの黄かん色にJNRマーク、上下銀色。大雪丸はうす緑にクリーム色帯、上下ともクリーム色です。
 私観では羊蹄丸の船体色が就航当初はもっと鮮やかだった気がします。船体上部の色も船によって色の薄い順から白、乳白色、象牙色、クリーム色と記されたりしていますが、私が今いちばん気になるのは船を上から見たときに露出している甲板の色です。グレーに見えたりグリーンっぽく見えたりで・・・。


[55] Re[44]: 1983年のメモから… 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/02/13(Tue) 23:48

> 1983年7月に、札幌から南部縦貫鉄道と十和田観光電鉄を訪ねた

十和田市と七戸の間は、時刻表には載っていなかったが、バスで乗りつげた。O型台風さんより少し前、十和田〜南部と乗りあるいたとき、七戸でバスを降りて南部縦貫の駅をたずねたら、誰も知らないというこたえで、カンをたよりに道行くトラックの雪泥シブキを浴びながら七戸駅にたどりついた。これじゃ、会社更生法適用もしょうがないなー、と思ったが、予想以上に生きのびた。

すみません。つられて連絡船とは関係ない話になって。根が地方私鉄ファンなもので…。私の場合、東北の私鉄に乗りにいくことが、連絡船の思い出にはつながらないものなー。なんとなく、北海道在住の人がうらやましい。


[54] Re[51]: 登場時の塗色 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/02/13(Tue) 23:08

1937(昭和12)年制定の船舶塗色というのは、私は模型以外では見たことないのですが、今の(もうないけど)青函連絡船がその塗色だったら、どうなのかはすごく興味あります。
だって、八甲田や松前の色って、なんか軽いでしょ(八甲田、松前のファンの方、青森県、函館ドック関係者の方すみません)。といいつつ、私は十和田のオレンジが好きなんですけど…(津軽のグレー、大雪のグリーンもシブイ)。
それに、新造船の上部って少し白すぎますよね。

> それにしても、Photoshopで加工した、白黒&黄かん色の煙突という旧塗色で
> 新鋭船を塗り直すと重厚なこと重厚なこと・・・(^^;

見てみたい。HOWHOW駅員さんの連絡船模型のページは、その後どうなった(と、いちおうつっこみ)。


[53] 青函連絡船の塗色 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/02/13(Tue) 22:48

みなさま、資料リスト作成にご協力いただきましてありがとうございます。
青函連絡船の塗色が話題になっておりましたので、急遽、塗色リストをつくって、DATAのコーナーに登録しました(私も前々から気になっていた)。
いやー、今となっては、当時どんな色だったのか、わかんないもんですね。みなんさん、補足、よろしく。
「海峡の記憶 Notes」に「大雪丸の新塗色は船長と決めた。ほかの船はだれが決めたの?」という話が載っていますが、ホント、だれが決めたんでしょうかね。今、聞いておかないとわからなくなってしまいますね。こういうのも、ウチの会の仕事かな、とも思っています>ね、朝子さん

で、津軽丸型(それ以降も)の新塗色って、何年のことでしたっけ、初歩の質問ですみません。ご存じの方、教えてください。


[52] 補足 投稿者:HOW HOW 駅員 投稿日:2001/02/10(Sat) 00:59

前発言でスタンダードとして使われていた洞爺丸形・・・と記しましたが
これは35年以降の塗色リニューアルで用いられた色の事です。
それまでは白黒の船体塗装規程に準拠してましたから・・・(^^;


[51] 登場時の塗色 投稿者:HOW HOW 駅員 投稿日:2001/02/10(Sat) 00:53

右ヨシ!\(^o^) 左ヨシ!(^o^)/ HOW HOW 駅員です。 ∠(^-^; 敬礼!

新鋭船登場時は、それまでスタンダードとして使われていた洞爺丸形の
塗装パターンを船体塗色として利用していたみたいですね。
手元の船内販売用の絵はがき(昭和42年)を見る限り、松前丸、大雪丸、八甲田丸の3船が同じ淡緑色に塗られ、ファンネルだけが色違いだったようです。
これは、洞爺丸形、初代十和田丸形を踏襲したのでしょう。いずれも後に塗色変更されていますけどね。

それにしても、Photoshopで加工した、白黒&黄かん色の煙突という旧塗色で
新鋭船を塗り直すと重厚なこと重厚なこと・・・(^^;


[50] 旧塗色なら.... 投稿者:Masaru KAKEI 投稿日:2001/02/09(Fri) 23:05

こんばんは。kakei@Tokyoです。

旧塗色の八甲田丸でしたら、大阪の交通科学博物館(昔の交通科学館)に行けば模型を見ることが出来ます。黄色くなる前の....新三菱重工神戸造船所にて建造時の塗色みたいです。
ちなみに交通博物館には、津軽丸が鎮座しています。塗色は船体が灰白色、ファンネルが空知型のような塗色です。確か....


[49] 思いつく限りのキーワード 投稿者:ちゅう 投稿日:2001/02/09(Fri) 22:31

さっちゃんさん こんばんは。

「放送ライブラリー」には、青函連絡船関連の所蔵は、今のところ下の一件を加えても4件しか見あたりませんでした。
NHK特集も多く所蔵されていますが残念ながらこれらは無くて..
ニュースステーションの録画はしましたので、実家に行けば有るのかも知れません。

[番組名]  ラジオスケッチ 洞爺丸の遭難
[放送局]  東京放送
[ジャンル] 報道・時事
[放送日]  1954/09/27

これは15分ですが聞いてみたいです。

http://hp1.cyberstation.ne.jp/cyuu/


[48] 大事なもの忘れてました 投稿者:さっちゃん 投稿日:2001/02/09(Fri) 22:07

『日本国有鉄道百年史』にもやはり青函航路の記事は多数出ておりますが、面白いのが別冊扱いだった『日本国有鉄道百年写真史』(これだけ昭和47年当時単独でも売られた)に、海の色が映って青く見える八甲田丸の写真が……。しかもファンネルの帯ははっきり黄色なんです。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~satie/


[47] 洞爺丸はなぜ沈んだか?という 投稿者:さっちゃん 投稿日:2001/02/08(Thu) 22:34

NHK特集を見た覚えがあるんですが……。

久々にリストをひっくり返してみましたら
今日の出来事「青函連絡船」
ドキュメント’88「青函連絡船」
Time21「北の海峡に生きた男たち・青函連絡船」
「青函連絡船・最後の風景」
NHK特集「さよなら青函連絡船」
ニュースステーション「青函連絡船」
「海峡の友・青函連絡船」
3/14朝の報道番組の青函連絡船を片っ端から撮ったもの
等々あるらしいのですが、探すのが……。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~satie/


[46] 洞爺丸はなぜ沈んだか? 投稿者:ちゅう 投稿日:2001/02/08(Thu) 20:42

山鳩つばさ さん こんばんは。

この番組は、下の方[29]に書き込みました「放送ライブラリー」に所蔵されております。
こちらに行けば、いつでも(開館中ならば..)聴けますよ。
横浜なんですけど..

# 青函連絡船関連は3つ目ですね、近々また行ってみよう


[45] 青函連絡船のラジオドラマ 投稿者:山鳩つばさ 投稿日:2001/02/08(Thu) 13:47

はじめまして。

さて、私が聞いたことのある「洞爺丸海難事故」を主題としたラジオ番組です。制作はいずれもTBS(JRN)です。

1976年11月 「その瞬間」 洞爺丸事件を主題としたドキュメント再             現ラジオドラマ。

1981年10月 「洞爺丸はなぜ沈んだか?」
上前淳一郎氏の同作品をラジオドラマ化した作品でほぼ原作に沿った形でドラマ化されていました。オープニングでは事故直後の実況放送
(多分HBCのニュース)や機関部の音声など臨場感あふれる造りとなっています。余談ですが船橋や機関室の音声は「氷川丸」で録音されたそうです。
出演は近藤洞爺丸船長が藤田まこと氏、佐藤羊蹄丸船長が小池朝雄氏
他に高橋長英氏が出演していました。
この作品は何か賞をとって翌年2月再放送されています。


[44] 1983年のメモから… 投稿者:O型台風 投稿日:2001/02/06(Tue) 22:38

1983年7月に、札幌から南部縦貫鉄道と十和田観光電鉄を訪ねた際のメモが、ガラクタの中から出て来ました。
1983年7月30日の2便は羊蹄丸。事務室のノリホ板をメモしたところでは…。
船長…沼田、事務長…つしま、寝台18・グリーン指定57・グリーン自由106・普通604…計785名と記されています。

他の編成メモも懐かしいものばかり。
4002M(白鳥)は8M4Tでサシ付きの12両編成、津軽線の921レはDE10+旧形客車7両で、うち1両はブラウンのスハフ42。
到着した1M(ゆうづる1号)と7003M(ゆうづる3号)はいずれも583系8M5Tの13両編成。

…今となっては懐かしい1コマでしょうか…。

http://homepage2.nifty.com/~c5550/index.html


[43] Re[42]: 訂正情報 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/02/06(Tue) 19:21

> 資料館にある連絡船DVDの「青函連絡船・最後の就航」は時間は30分
> です。(120分と色んなガイドブックには書いてありますが、実際に
> 持ってますので間違いありません)。

ありがとうございます。訂正しておきます。

空知丸型の上部色は、石黒代表の原稿にもライトピンクとある。記憶では渡島丸型と同じ白(国鉄資料では乳白色。津軽丸の白とは違うらしい)。写真でも白にしか見えないが…


[42] 訂正情報 投稿者:海の新幹線 投稿日:2001/02/06(Tue) 13:00

資料館にある連絡船DVDの「青函連絡船・最後の就航」は時間は30分
です。(120分と色んなガイドブックには書いてありますが、実際に
持ってますので間違いありません)。

また、鉄道ジャーナル88年2月号の特集記事「鉄道連絡船の最期」に
ついては、同社「鉄道ジャーナル別冊第40号」にそのまま複写されています。宇高と青函航路の両方載ってますが、やはり青函航路の分量
がかなり上回っています。同特集も舞台は大雪丸で、主演K山キャプ
テンです。別冊ですので現在も書店で入手可能のようです。書泉グランデにおいてあります。

上部塗色の話題が出ていましたが、空知・石狩・桧山については、
公式記録では「ライトピンク」だったとか伺いましたが、ホントは
どーなのでしょう?バンモデリングのキットでJR仕様の空知丸に
渡島丸を強引に化けさせましたが、白色にしてます。


[41] アホな私 投稿者:朝子さん 投稿日:2001/02/05(Mon) 21:13

ねぇ、ねぇ、みなさ〜ん、ウチのHPのナビゲーションバーの色の意味ってご存じ? 左から、津軽、八甲田、松前、大雪、摩周、羊蹄、十和田の煙突の色で、当時のJNRが赤だったのよね!!(書体はチト違うが…)知らなかった…。知らなかったのは、アホな私だけ???? その資料にしたのが、世界の艦船80年8月号に掲載されているウチの親分石黒隆代表の記事だそうです。で、HP作成担当の摂ちゃん曰く、「ワシも知らんかったのが、上部色がそれぞれ微妙に違って、白と乳白と、クリームだった事…」 調べるとイロイロあったのね。みなさ〜ん、今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくね!!

http://www.sxp.co.jp/onpo/


[40] 関連書籍 投稿者:Masaru KAKEI 投稿日:2001/02/04(Sun) 21:09

こんばんは。kakei@Tokyoです。

「連絡船ドック」、「続・連絡船ドック」共に現在でも購入可能です。「連絡船のメモ」は....上・中は絶版。下のみ購入可能です。全て船舶技術協会刊です。


[39] 雑誌の方は 投稿者:さっちゃん 投稿日:2001/02/04(Sun) 20:04

手許にあるところで
「別冊山と渓谷 さようなら連絡船」山と渓谷社1988
「旅と鉄道 特集:青函連絡船そして最果て」(1986年夏の号)「同 特集:さようなら!鉄道連絡船」(1988年冬の号)鉄道ジャーナル社
なんてのを見つけました。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~satie/


[38] Re: 青函連絡船関連の本 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/02/03(Sat) 22:59

みなさん、情報ありがとうございます。さっそく、追加登録します。

黒岩保美・絵の「青函連絡船ものがたり」は、いい本ですね。

写真展・写真集「青函連絡船 海峡の記憶」を黒岩さんに見てもらえなかったのは、とても残念です。


[37] 私も追加情報です 投稿者:Saji 投稿日:2001/02/03(Sat) 20:25

すみません、発行年月の記載を忘れてしまいました。
「連絡船ドック」1966年10月
「続・連絡船ドック」1971年10月
「連絡船のメモ 上巻」?
「  〃    中巻」?
「  〃    下巻」1977年5月
この他に、「青函連絡船運航技術要覧」青函連絡船船長会という資料集もあります。いずれも発行されて久しいですが、ドックとメモは船舶技術教会の月刊誌「船の科学」のバックナンバーに連載されておりますので、交通博物館の図書室で閲覧できます(運航技術要覧も)。


[36] 青函連絡船関連の本 投稿者:みやざき 投稿日:2001/02/03(Sat) 16:38

おじゃまいたします。連絡船関連の本の追加情報です。

鉄道連絡船100年の航跡 古川達郎 成山堂書店 1988年

月刊「たくさんのふしぎ」通巻34号「青函連絡船ものがたり」
 宮脇俊三 文 黒岩保美 絵 福音館書店 1988年

青函連絡船切り絵集 萩原幹生 ホテルシップビクトリア 1998年

お役に立てましたでしょうか?それでは。 


[35] Re.ドック&メモ 投稿者:Saji 投稿日:2001/02/03(Sat) 16:09

「連絡船ドック」「続連絡船ドック」「連絡船のメモ」は、いずれも船舶技術協会の発行です。ちなみに津軽丸型連絡船が載っているのは「続連絡船ドック」の方です。「連絡船ドック」の方はディーゼル船の檜山丸、十和田丸(後の石狩丸2)、第一讃岐丸です。


[34] DATAページ、一部開業 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/02/03(Sat) 01:29

準備中だったDATAページにとりあえず、青函連絡船の本を登録しました。訂正・追加情報をおよせください。
それから、「連絡船ドック」と「連絡船のメモ」の発行所、発行年がわかりません。知っている人、教えてください(これはSajiさんの得意分野かな?)。

その他のジャンルの情報もとうぞ。カテゴリー別の、リストごとごっそり送ってもらっても、もちろんかまいません。


[33] トップページを 投稿者:O型台風 投稿日:2001/02/03(Sat) 00:33

私のHPにリンクさせて頂きました。
今後共、どうぞよろしくお願いいたします。

http://homepage2.nifty.com/~c5550/index.html


[32] 補助汽船その後 投稿者:Saji 投稿日:2001/02/01(Thu) 12:32

各鉄道趣味誌に「補助汽船賛歌」の紹介が出ましたが、著者の源新さんから航路終航後の補助汽船の情報を頂きましたので、一部紹介致します。
 旧えさん丸・・・函館港にて「第五新徳丸」として活躍
 旧しらかみ丸・・・青森港にて「第三十八豊丸」として活躍
いずれも船齢としては老齢です(旧えさん丸は廃船になったという情報もあります)。補助汽船時代と比べると多少改造されており、客室の部分が短縮されています。


[31] Re.:プロジェクトX 投稿者:Masaru KAKEI 投稿日:2001/01/30(Tue) 01:30

毎度です。kakei@帰国しました。
サンフランシスコは停電混じりで大変なのでした。

>この番組で青函連絡船を採り上げるなら、
>どのネタになるでしょう?

「津軽丸型」以降に採用されたJNR型錨の話なんかはどうでしょうか?洞爺丸事故の際、錨の把駐力が足りないことが問題となりました。当時のストックレスアンカー(JIS型)では、砂地の函館港では十分に機能しませんでした。そこで国鉄が把駐力の工場を狙って開発した錨がJNR型。英国海軍が同じ理由からAC14型アンカーを開発しましたが、JNR型もそれに負けずと劣らない高性能の錨です。
他の船であまり使われているのを見たことはないのですが....



[30] 放送ライブラリ(続) 投稿者:ちゅう 投稿日:2001/01/29(Mon) 00:54

気になったら止められなくなりました。(笑)
もう一件

[番組名]  津軽海峡乗船名簿 海と汽笛と思い出の記録 船は語る
[放送局]  北海道放送
[ジャンル] ドキュメンタリー・録音構成
[放送日]  1987/06/15

これは、ラジオ放送の様です。
もう寝ます..


[29] 放送ライブラリ 投稿者:ちゅう 投稿日:2001/01/28(Sun) 21:53

青函連絡船の番組が話題に出ましたので、私の近所(横浜)のお勧めの場所をお知らせします。

財団法人放送番組センター「放送ライブラリ」
http://www.bpcj.or.jp/

JR関内駅から10分程度、横浜球場の近くに有りまして、主に教養番組など(ドラマの1話目とかも)8000本以上有る。
PCを使って検索、お好みのものが見つかったら係りに伝え、指定されたブースで視聴します。
貸し出し等はなく自宅で繰り返し見られないのが残念ですが、なんと「無料」なんです。

上記サイトで簡単な検索は出来ますが検索項目がしょぼいので今のところ1つだけ見つけました。

[番組名]  NHK特集 さよなら青函連絡船
[放送局]  NHK
[ジャンル] ドキュメンタリー
[放送日]  1988/03/06

横浜に来られる機会があればいかがですか?


[28] 長声一発! 投稿者:さっちゃん 投稿日:2001/01/26(Fri) 10:43

あの年の元旦未明、在京のどっかの局が青函連絡船の番組をやったんですが、どうも内容がそのビデオそのまんま(おまけに映画の放送よろしく前後に女性キャスター(?)が解説してた)ような覚えが……。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~satie/


[27] 補助汽船賛歌購入 投稿者:HOW HOW 駅員 投稿日:2001/01/26(Fri) 01:02

右ヨシ!\(^o^) 左ヨシ!(^o^)/ HOW HOW 駅員です。 ∠(^-^; 敬礼!

遊人工房から出ている「補助汽船賛歌」を秋葉原、書泉ブックタワーで購入しました。
青森港を中心に昭和51年から撮り貯めたタグボートの活躍を余すことなく表現されているものです。
連絡船とは切っても切れない間柄にある補助汽船の活躍と、栄光の日々を見られて本当に良かったと
手に取ってみて思う一冊でした。

書籍名:補助汽船賛歌
著 者:源新英男
発 行:遊人工房
価 格:1200円(外税)
コード:ISBN4-946562-15-X


[26] 谷地頭温泉・・・ 投稿者:HOW HOW 駅員 投稿日:2001/01/26(Fri) 00:51

 >朝子さん

タオルが真っ茶色になってしまう、地元優先のお風呂は月に2〜3度行ってました。
入浴後、牛乳じゃなくて北乳のカツゲンを飲むのが地元民の習わしです・・・(^^;;;

と言う訳で、温泉掲示板にもお邪魔しますね。


[25] Re[19]:久田船長の墓 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/01/26(Fri) 00:14

そうか。久田船長の墓って能登半島にあったのか。
こういう情報も集めることにしましょう。

おっ、12時をすぎた。プロジェクトXの再放送、見よっ。


[24] 突然ですが… 投稿者:朝子さん 投稿日:2001/01/25(Thu) 16:57

模型とプロジェクトXで盛り上がっているところに、お湯を差すようで申し訳ありませんが…。
大寒も過ぎ、寒さが厳しい毎日、身体を温める即効には何と言ってもおふろ。おふろと温泉にご興味のある方、ワタクシメの温泉のホームページの掲示板も新装しましたので、遊びにきてください。お待ちしております。あ〜…それにしても、谷地頭の温泉が懐かしい…。

http://www.sxp.co.jp/onpo/


[23] 渡島丸製作中 投稿者:海の新幹線 投稿日:2001/01/25(Thu) 12:49

連絡船関連のビデオや書籍の話しが出ていますが、現在も市販されて
いるビデオで入手できるのは、いまも大雪丸顧問の、かの有名なK山
キャプテン主演(?)鉄道ジャーナル社の「長声一発」くらいですよ
ね。KNコーポレーションのDVDソフト「青函連絡船・最後の就航」
は、映像はいいのですがBGM仕立ての環境ビデオといった趣で、ちょ
っと連絡船の歴史という臭いがしません。

ニュースステーションで私が覚えているのは、終航三日前くらいの、
船員と船の行き先に関する特集です。ここでもK山キャプテンは、函館船員区の管理職のおひとりということでお話をされてました。
函館を離れたくないという船員の思いが、痛いほど伝わってきたのを
覚えています。

ところで、渡島丸のキットは、なかなかいい出来です。
レジンの洗浄とバリ取り、プライマー付けをしてみましたが津軽丸型
の製作経験が反映されているためか、ほとんどの部品で湯口が小さく
変更されており、また台座付き(切り離し型の部品)はほとんどあり
ませんので塗装前の準備が楽です。また、津軽丸型になかった船名
デカールがついておりました。惜しむらくは、説明書にだけは載って
いる「空知丸型」のモデルが欲しかったなーということ。自分で改修
してしまおうと思っているのですが、JR北海道のファンネルのインレタを入手してしまったので、JR仕様に統一したいのですよー。


[22] Re^3: 連絡船関連のビデオ 投稿者:HOW HOW 駅員 投稿日:2001/01/24(Wed) 11:51

れ:さっちゃんさん

> もろに「(番組を)ダビングした」とか言っちゃいますと、著作権法に抵触の可能性が……^^;

そうですね。表現が不適切でした。
※気を付けないとなぁ・・・要注語<コピー・ダビング・複製・改造・・・etc

気を取り直して、見ていた連絡船ビデオの最後に音楽が田中公平さんのテロップが・・・。
どうりで聞き慣れた音楽だったんだ!(爆)。判る人にはわかるネタかな?(笑)。


[21] プロジェクトX 投稿者:O型台風 投稿日:2001/01/24(Wed) 00:09

結構ハマっていて、毎週見て、ずーっと録画しています。
今日の「ゴジラ誕生」も面白かった!

…で、再来週が「瀬戸大橋」を採り上げるそうで、その中で少しだけ宇高航路の話も出るようです。
この番組で青函連絡船を採り上げるなら、どのネタになるでしょう?
…個人的には「津軽丸」就航時のエピソードでもいいネタになりそうな気がするのですが…。

http://homepage2.nifty.com/~c5550/index.html


[20] Re[17]: 連絡船関連のビデオ 投稿者:さっちゃん 投稿日:2001/01/23(Tue) 23:06

> 番組を録画された方も多いのでは?。私も函館や青森の友人に頼んでダビングして貰いました。
あの……他所で聞いた話なんですが、もろに「(番組を)ダビングした」とか言っちゃいますと、著作権法に抵触の可能性が……^^;

それはさておき、ニュースステーションでも最後の頃の青函連絡船を取り上げてましたよね。青函連絡船の中で生まれた赤ちゃんを追うという企画、……一寸悲しい結末で。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~satie/


[19] 面白い(?)もの 投稿者:さっちゃん 投稿日:2001/01/23(Tue) 22:58

一寸目を離した隙(?)に、模型の話題から「プロジェクトX」まで、話題には事欠きませんね。

ところで、もう10年近く前ですが、まだどうにか勢いのあった「のと鉄道」に乗りに行った際の写真が出てまいりました。その中の1枚、鵜川という駅の「名所案内」を撮ったのがありまして
「久田船長の墓 青函連絡船で殉職 当駅下車徒歩10分 当地出身」
名所と呼んでいいものかどうか^^;

http://www5b.biglobe.ne.jp/~satie/


[18] Re: TMSの連絡船模型、ほか 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/01/22(Mon) 16:12

●TMSの連絡船模型について
Sajiさん、情報ありがとうございます。88年5月号は通巻500号でしたね。4月号は見つからなかった。もしかすると買っていないのかもしれません。記事も、あまりよく覚えていませんでした。この連絡船と岸壁の模型が、現在の摩周丸にあるものと同じかどうかということも分かりません。どうもすみません。でも、連絡船と岸壁の模型は、いちどはつくってみたいものだと思っています。

●「プロジェクトX 挑戦者たち」について
番組の放送時間帯は、たいてい仕事しているか、飲みに行ってるかのどちらかなので、見損ねることも多いのですが、NHKとしては「宇宙船レッドドワーフ号」(知ってる?)以来の私の愛観番組となっていて、できるだけ見るようにしています(再放送のほうをよく見てる)。
はっきりいって、ドキュメンタリーとしてはつっこみも浅く、つくりも平板なんですが、そこが手なんでしょうかねぇ。また、ふつうの人が主人公というのがツボなんでしょうか。私は、すっかりはまってしまい、毎回、涙をボロボロ流しながら見ています。
青函連絡船もこの番組向きのテーマではあると思います。NHKホームページの「番組へのご意見」コーナーで、プロデューサー宛にメールがだせますから、要望してみるのもいいでしょう。「語りつぐ会」としての行動は未定です。

●当サイトの「資料」コーナーについて
当サイトとしては資料そのものを収集するつもりはなく、それはみなさんのサイトに任せて、「どんな資料がどこにあるか」という情報を集めるつもりです。たとえば、連絡船の本とか、雑誌の記事、記録映画、ビデオ、グッズなど。参考文献(資料)一覧といった感じですね。それから、連絡船をテーマにした(連絡船が出てくる)、歌、小説、映画、テレビ番組一覧、といったものを考えています。もうすこし方針がはっきりしたら掲示しますので、みなさん、情報の提供をよろしくお願いします。


[17] 連絡船関連のビデオ 投稿者:HOW HOW 駅員 投稿日:2001/01/22(Mon) 12:24

右ヨシ!\(^o^) 左ヨシ!(^o^)/ HOW HOW 駅員です。 ∠(^-^; 敬礼!

連絡船の動く姿を目にする事が出来るのは今ではビデオなどの映像ソフトだけですよね。
今、手に入る市販ソフトは2〜3有るみたいですが、終航当時にテレビで放映された
番組を録画された方も多いのでは?。私も函館や青森の友人に頼んでダビングして貰いました。

こうした映像ソフトを共有するのも連絡船FANの良いところでしょうね!(⌒〜⌒)。


[16] 資料集 投稿者:Saji 投稿日:2001/01/21(Sun) 22:13

青函連絡船の資料室、楽しみにしています。私も資料収集に力を入れた時代があったのですが、交通博物館の図書室には良く通いました。「船の科学」という月刊の専門誌があるのですが、そのバックナンバーに古川達郎氏の「連絡船ドック」「続・連絡船ドック」や泉益生氏の「連絡船のメモ」が連載され、当時就航したばかりの羊蹄丸や渡島丸、空知丸などの一般配置図や、正面線図など、模型を作る上では欠かせない資料を得ることができました。また船長会で作られた運航に関する資料や青函船舶鉄道管理局が発行した書籍も閲覧することができます。もうご存知の方も多いと思いますが、興味のある方はぜひどうぞ。

ちゅうさん
私も最近の「プロジェクトX」は勢いがないと思います。ちなみにいちばん感動したのは日本ビクターのVHSビデオの開発者たちの話です。


[15] 汽笛ツアー参加の写真 投稿者:ひらり〜 投稿日:2001/01/21(Sun) 21:38

 私事ですが、昨年暮れの汽笛を聞きに行った、函舘−青森ツアーの写真を、MyHPにアップしました

自己満足的なところが多いのですが、写真をとって、摩周丸と八甲田丸の現状を記録したつもりです

とはいえ、汽笛ならす頃の写真がイマイチないのですが・・・

ごらん頂ければ幸いです

なお、函舘の「元町茶室」を載せましたが、ここの喫茶店は最高でしたよ

では

http://www.246.ne.jp/~hirary


[14] 祝 新装開店 投稿者:ひらり〜 投稿日:2001/01/21(Sun) 12:11

新装開店、おめでとうございます

さて、TMSですが、残念ながら持っていませんでした
よくみたら急行型の記事が載っいる物しかうちには・・・

sajiさん、号数をお教えいただき有り難うございます

では、これからもいろんな書き込み期待しています

http://www.246.ne.jp/~hirary


[13] 新装開店されたんですね 投稿者:ちゅう 投稿日:2001/01/21(Sun) 00:31

みなさん こんばんは。 先日は、質問へのご回答ありがとうございました。

Sajiさんの書き込みから表紙画像をネット上から見つけることが出来まして良く見たら立ち読みした
覚えのある「鉄道模型趣味88/04号」でした。(^_^;)
今は、TMSの意味も直ぐに思い出せなかったぐらい模型から遠ざかっていたのですが、このときは
手に取って眺めていたようです。また一つ「もやもや」した記憶がはっきりしました。

私も「プロジェクトx挑戦者たち」のファンですが最近、初めの頃の勢いが落ちている様な気が
しますので(ネタ切れ?)「意見・感想」に「青函連絡船をテーマにして」と出してみましょうか?


[12] Re[10]: TMSの連絡船模型 投稿者:Saji 投稿日:2001/01/20(Sat) 21:13

私もあの記事が強く印象に残ってまして・・・。
TMSは、1988年の4月号と五月号です。でもあのレイアウトにあった檜山丸って、現在の摩周丸の展示室に可動橋や控え車と共に飾ってありましたよね?
 話は違いますが、私のすきなテレビ番組の中に「プロジェクトX(NHK)」があります。今まで青函トンネルや新幹線、YS11などがありましたが、ぜひ青函連絡船も取り上げていただけたらと思ってます。


[11] 当サイトはリンクフリーです 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/01/20(Sat) 17:54

O型台風さん、こんにちは。
当サイトはリンクフリーですので、ご自由にどうぞ。
リンク先は「語りつぐ青函連絡船の世紀」のトップページ(アドレスは下記参照)へお願いします。

太平洋炭鉱は私は見損ねた。というか、専用線めぐりはあまりしませんでした。普通鉄道でまにあったのも、尾小屋鉄道ぐらいです。
ナローは車両も小さく、保存も楽なので、あちこちに残っていますが、船はねぇ〜。ま、がんばりましょ。

http://www.sxp.co.jp/renrakusen/


[10] TMSの連絡船模型 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/01/20(Sat) 16:52

10年以上前のTMS? 連絡船の模型が載っていたのは、おぼえているような、そうでないような。持ってるはずだから探してみるかなぁ。何年何月号だか分かりませんか?>さっちゃん、ひらりーさん、Sajiさん


[9] お引越しおめでとうございます 投稿者:O型台風 投稿日:2001/01/20(Sat) 10:00

こちらへは2度目のお邪魔です。引っ越しされたのですね。

今、僕が住んでいる所の近くに、かつては太平洋炭鉱のナローのトロッコが走っていました。
何度か撮影に来たのですが、廃止後に近くに住む事になるとは、当時は考えもしませんでした…。
僕のHPの「線路のある風景」にも、1枚だけですが写真を載せていますので、折がありましたらどうぞご覧下さいませ。

これから、地元で走るSLの重連を追っかけに行ってきます。
…それと、よろしければここのHPをリンクさせて頂けないでしょうか?

http://homepage2.nifty.com/~c5550/index.html


[8] 呼ばれてるような・・・(汗) 投稿者:HOW HOW 駅員 投稿日:2001/01/20(Sat) 02:38

右ヨシ!\(^o^) 左ヨシ!(^o^)/ HOW HOW 駅員です。 ∠(^-^; 敬礼!

模型談義が相当続いて呼び水しちゃった自分にちょっと責任感じてますが、
でも模型見ながらのチビ酒は至福というのはσ(^^)も同じですよん!。
しかも朝子さんに催促されているようで・・・(^^;;;

まぁ、モデラーですから満足いくMASHU君を作って差し上げますよ。>朝子さん

これがキッカケになって自分のHPに連絡船模型のページを設ける事を決めちゃいました。

それにしてもナローしかもクラウスですか・・・私はコッペルが好きですが・・・(⌒〜⌒)
あの狭い線路を揺れながら走る機関車はいいっすよね!(嬉々)

と言う訳で、ちょっと模型をペースを速めて作ろうと思っている駅員でした!。∠(^-^)


[7] 朝子さんの模型 投稿者:せつ@事務局 投稿日:2001/01/20(Sat) 01:31

朝子さんの持っている模型は、1/87、9mmゲージ、伊予鉄のクラウスです。
その昔、軽便鉄道愛好者の、とあるパーティで、H模型の社長が持ってきていたのを見て、例によって「かわいい〜」と朝子さんが言ったら、「あげます」と言われて、その場でもらってきたものです。そのときの周囲の男性陣の目尻が、どれほどつりあがっていたかは、想像できるでしょう。だって、当時、1両、末端価格3万円したんだよ。値段だけの話じゃないけど…。
さらに、朝子さんが、お礼かたがた「クラウスくん、1両だけではさびしそうなの…」とお手紙書いたら、「現在、客車を製造中です」という返事がきて、しばらくしてオープンデッキの2軸客車が2両送られてきました。これだって末端価格1両7800円、くりかえすが値段だけの話じゃないけど…。
その後、当時の模型仲間と朝子さんの関係が、最悪になったのは、言うまでもありません!!!。


[6] 模型談義いろいろ 投稿者:朝子さん 投稿日:2001/01/20(Sat) 00:27

私は模型は作らないのですが、いろいろなツテで、少々持っていて(クラウスくん他)走らせて、眺めて、お酒を飲むのは至福の時。でも、残念ながら連絡船の模型は持っていませんでした(スイマセン)。でも、今となっては、摩周ちゃんや八甲田ちゃん、羊蹄ちゃん、大雪ちゃん(びゅうさん、頑張って作ってね。このキット全部持っているのでしょ?)の模型を目の前にして、純米酒を飲む「刻」を楽しみに生きる事にしよう、っと。一緒に飲む人、この指と〜まれ!!


[4] 祝・新装開店 投稿者:朝子さん 投稿日:2001/01/19(Fri) 13:36

せっちゃんの努力で(深夜までの作業、お疲れさん。でも、本業を忘れないでね)新装開店にこぎ着けそうですね。サロン海峡も、汽笛のリレー以来、来客が多く、毎日楽しみです。
石黒御大も近々いよいよネット環境が整うようですし、盛り上がりが、いつかまた、手を組んで楽しいイベントを企画・開催できるのではないか、と少し心が弾みはじめました。みなさんが作った連絡船艦隊を集合させて、一杯飲む日が来るのは、近々実現しそうですね。